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『お祓い』を最も得意とする祈祷寺です。

真言宗祈祷道場 如意輪寺

和尚のひとこと


このページの先頭へ30.因縁について

 
ご相談者様からよく、他の霊能の方に『先祖因縁だ』と言われておられる方が多いです。因縁は、生き霊の『念』から、5、600百年前の結縁のご先祖様の『ご縁』まで、色々ございますが、これは実は、生まれながらにしての運命でもあるのです。
 『念』や『縁』は、宿命星につながるもので、容易には絶てません、というより、絶つべきものではありません。むしろ、これを大切に思い、仏様に両者が良いものとなるようお願い祈祷するのです。そうしますと、仏様との『縁』がありがたくも出来上がります。
 したがって、除霊とは、これを強制的に絶つものではなく、やわらかくありがたくも成り立つように祈祷するのが当寺のやり方、考え方なのです。
 お電話でも、私の読む真言やお経や、陀羅尼を聴いて、その『念』『縁』に思いを致すことによって、運気が上昇するものであります。
 皆様も、多少の運気の下降やラップ音にびっくりしないで、「何らかのメッセージだ」「仏様、神様が何か教えて下さっておるのだ」と考え、これを大切に思い、当寺にご連絡いただきたいものです。
 理趣経は、最終的には「せんざーい」といって、因縁が成り立ったことを喜ぶものです。
このお経には伝授が必要ですので、簡単なお気持ちで読んでも良くないものでもありますが、大日如来様の『加持力』を信じ、至心に読踊し奉りたれば、必ずや身体堅固と福寿の増長が期待できるものであります。
 ですから、このようなことでお困りの時は、気軽にお電話くださり、当寺が読む真言陀羅尼を聴き、心を洗いましょう。

おん あびらうんけん そわか
おん あびらうんけん そわか
おん あびらうんけん そわか   慈空 拝



29、生命2


ニュートリノは4次元の世界に消えたのです。
 もちろん、4次元の世界から生まれることもあるのです。
 我々の住む現実の世界は3次元です。
 縦×横×高さと現在という時間を併せて3次元です。
 時間は過去、現在、未来は継続しているが、我々は現在だけに生きているんです。
 しかし、4次元の世界では時間を旅して、生きることが出来ます。
 藤子不二雄のドラえもん、4次元ポケットや、手塚治のコスモゾーンに、分かり易く現されています。
はるきちゃんが居たのは、4次元の世界だったのでしょう。
 きっと、観音様の拓いた補陀山浄土から眺めていて、あの夫婦の子どもになりたいと思ったのでしょう。
 生命は宇宙エネルギーの塊で、魂と言って良いと思います。
 亡くなったら、魂は肉体から離脱し、49日まで現世に留まり、閻魔庁で生前の犯した罪に対して、懺悔をし、悔い改めてから、浄土に導かれます。
 故人は自分で、お釈迦様や観音様の像を彫り上げるくらい、信心深い人でしたので、阿弥陀様の迎合図に現されるように、浄土に旅立ったものと思います。
 私も助力出来たらありがたいと思い、訪ねて、お経をあげさせていただこうと思っています。

おん あみりたていぜい からうん おん あみりたていぜい からうん
おん あみりたていぜい からうん

28.生命1

 先日、テニスの友人がお亡くなりになりました。
1月のガトーキングダムでの新年会で、仏様に関するものをさしあげたいとの事、雪も解け、お寺に飾ろうと、昼頃、訪ねてみました。
 奥様が応対してくれて、今朝亡くなったとの事でした。
 密葬のため、誰にも知らせていないのに、訪ねてくれたのは、故人が呼んだものと、不思議な出来事に思いを巡らしていました。
自分でお釈迦様、観音様などを彫り上げるなどの、信心深い方でした。
 般若心経をあげさせていただきましたが、優しい穏やかなお顔で、横たわっていました。
 しかし、亡くなっているのは、お医者様が判定したので、間違いのないことです。
 身体は目の前にあるのに、生命は失われています。
 何処に行ったのでしょうか。

 身体と生命は、別々に存在すると悟った瞬間でした。
 スパー神岡カンデ(梶田所長・ノーベル物理学受賞)で研究していた時、ニュートリノが途中で消える、不思議な現象から、4次元の世界があると気づいたのです。

おん あろりきゃ そわか おん あろりきゃ そわか
おん あろりきゃ そわか




27、さて、今回は『オーブ』についてです。
 オーブは亡者の魂で、電話祈祷においても見て取ることができます。
 色はモノクロ白から灰色黒までに見えます。
 黒に行けば行くほど悪霊なのです。
 開寺当時、本堂の中は、真っ黒いものから灰色のものまでたくさんのオーブが、最新鋭のデジタル写真に多数写り込んだものでした。
 ところが、我々の祈祷等と、玄関前のお地蔵様、玄関の観音様のおかげで、同じ場所で、同じ機械で写してもオーブが写らなくなりました。
 オーブという、まだ解明されていない存在と、時代の先端を行く,デジタル写真とのシンクロが,祈祷の有効性、存在真実、回向力を告げています。
 オーブが居なくなると言うことは、成仏していかれたということです。
 ありがたいお経、陀羅尼により、仏様の開かれた浄土におくってあげた証です。
 このように、仏様の慈悲にお願いし、オーブの行くべき所に導くのが、私の祈祷の基本です。
 仏様のおかげで当寺は、心霊スポットからパワースポットへと昇華できました。
 原因不明の不調でお困りの方は、副住職の霊視と電話祈祷を受けてみることが肝要です
 解決し、今までに、たくさんの方々から感謝されています。
 今後とも、よろしくお願い申し上げます。



★なんと、大日如来様が説法したのです
                (平成29年11月24日更新)

26.昔、天界の王宮において、大日如来様が8菩薩と80億の群衆を前に、仏法を説きました。
 真理、道理である大欲を、17段階に渡って、教えを説いたのです。
 仏教で言う大は、絶対を意味し、大欲はかけがえのないくらい大きな人間の欲のことを言います。
 この説法の基本になっているのは、世の中に存在する全てのものは、みな清浄であると言うことです。
 清浄(しょうじょう)は呉読みで漢読みでは(せいせい)と読み、菩薩の心のようにきれいなものであることを指しますが、仏教では自と他と自然が一体となっている境地を表しています。
 この一体観は阿字観と言う修行で得られる、宇宙と融合した瞑想状態と同じ境地だと思っています。
 宗教の多くは、現世において、行いが悪ければ、死後、地獄に堕ちると定められています。
 理趣経を読みあげ、受持すると、どんなに重罪を犯してでも、これ以上ない、最上、絶対の悟りを身につける功徳があるというのです。
 これこそが、この世で、もがき、一生懸命生きている人間にとって、究極の救済方法だと思います。
 特に、四障、煩悩障(貪瞋癡)、所智障(心身をかきみだし、悟りの邪魔になるもの)、法障(小賢しい知恵で判断を誤ること)、業障(行動による妨げ)は人間が陥りがちな障りをあげていますが、どんなに重い悪行を行っても、又、繰り返し行っても、この理趣経を読んだり、聞いたりすることにより、極楽浄土に行けるのです。
 また、生きている間にも、この世を極楽にし、煩悩を直ちに菩提(悟り)してしまうのです。
 私が接した中では最高の、ありがたいお経です。
 しかし、これだけの難解、万能ともいえるお経ですので、必ず、しかるべき師匠から伝授を受けた後に、お経をあげることが必要です。  
 今日は大日如来を称える歌を唱いましょう。
 今は称えるだけで良いのです。
 貴方とお会いすることが出来た時には、節を付けて供唱しましょう。

 毘廬遮那仏(びるしゃなぶ) × 11回


★此岸・彼岸(8、魂の行く処、その3)
 
            (平成29年10月9日更新)

25、日本では、死亡してから、24時間以上経過しなければ、火葬はできません。
 早すぎる場合、仮死状態を死亡と判断されたり、蘇生する可能性があります。
 また、24時間経過すると死斑と呼ばれる紫色の斑点が出て、確実に死亡が判断できるからとの理由により、法律に定められています。
 さて、此岸から、彼岸の浄土や六道に振り分けられる要素には、現世での罪業の大きさや仏教への寄与が大きく関わっています。
 特に、殺生、偸盗、邪淫、飲酒、妄語、邪見、五逆罪を犯したものは、それぞれの関連する地獄に堕とされます。
 地獄では、生前、己がつくりだした妄念のひとつひとつが、形となって自分を襲ってくるのです。
 殺されても殺されても生き返り、また殺される。
 いつ果てるとも知らぬ、幾千、幾万年の悪夢、留まることのない無間地獄は時間があってなきに等しく、永遠の責め苦が続き、永遠に救いはない様に思えます。
 ただ、ひとつ救いがあるとしたら、六道を絶え間なく渡り歩き、仏に帰依しようとする衆生を救済する、地蔵菩薩様のご慈悲だけです。
 火葬場では、車回しに六地蔵が設置されていて、亡くなった人が、救われる様にお願いしてから、入場するところもあると思います。
 しかし、人間は大なり小なり罪を犯すものです。
 殺生にしても、命あるものを食したり、野獣から身を守ったり、自分や家族、正義を守るため、避けられないことも多々あります。
 在世で犯した、いろいろな罪を消滅したり、浄土に導く秘法があれば、地獄に堕とされることを避けることが出来ます。
 この秘法を、これから、皆様にお教えします。
 「無量寿如来修観行供養儀軌」には、極楽浄土に往生するための、最高位の秘法が記されています。
 臨終に際して、阿弥陀如来根本陀羅尼を唱えことによって、阿弥陀如来自ら、億万の菩薩を引き連れ迎えに来て、極楽世界に導き、そこで菩薩となることが出来るのです。
 もちろん、お坊さんに唱えていただいても、同じ効果を得られます。
 次に、仏頂尊勝陀羅尼により、冥土から蘇生した体験談を記します。
 亡くなったものが、三途の川に向かって歩いていくと、閻魔様の使者が二人が案内に来ましたが、休憩した時に瞑目して、ただ一つ知っていた仏頂尊勝陀羅尼を21回唱えたら、その使者は天上界に生まれ変わりました。
 その後、この陀羅尼を繰り返し唱え、冥土の住民を救っていると、閻魔大王の使者が来て、この亡くなったものが現世に戻され、蘇生したのです。
 また、大金剛輪陀羅尼を唱える事により、その有難い光明によって、すべての悪害は消失し、曼陀羅に入る事が出来た功徳がありました。
 罪業深いものが、地獄に堕ちたとしても、亡くなったものの名前を呼んで、一切如来心秘密全身舎利寶篋印陀羅尼を7回唱えると、たちまちに極楽に往生しました。
 また、この世に残ったものが、この陀羅尼を書写し、塔に納めて供養すると、本人も亡くなったものも罪障が消滅し、福徳に恵まれるのです。
 最後に、薬師如来大真言を唱えることによって、前世からのすべての罪業を清め、地獄と餓鬼と畜生の三苦を避けることが出来ます。
 地獄にだけには行きたくないと言う思いが、人類共通の願いでしょう。
 現世での生活、生き様が、極楽に行くのか、地獄に行くのかを分けているのです。
 私達、僧侶は、勤行する時には、輪廻で巡ってきた、六道で犯したすべての罪を、懺悔することから始めます。
 今日は懺悔文(さんげもん)をお伝えします。

   我昔所造諸悪業 (がしゃくしょぞうしょあくごう)
   皆由無始貪瞋痴 (かいゆむしとんじんち)
  従身語意之所生 (じゅうしんごいししょしょう)
  一切我今皆懺悔 (いっさいがこんかいさんげ)


★此岸・彼岸(8、魂の行く処、その2)
            (平成29年10月7日更新)

24、亡くなってから、7週、49日目、太山王(薬師如来の化身)のお裁きの後に、浄土に行けなかったものは、賽の河原に行くことになります。
 そこでは、奪衣婆が着物を脱がせ、夫の懸衣翁が衣領樹の枝に懸けます。
 罪の大きさによって、枝のしなり方が変わります。
 閻魔様は、何冊にも渡る生前の記録簿と照らし合わせ、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の六道に分けて、船に乗せてそれぞれに送ります。
 亡くなったものは、現世の行動により、六道輪廻(りくどうりんね)することになるのです。
 三途の川は船で渡ります。
 六道行きの船の他に、浄土に行く、一段と大きな金銀に飾られた船が、係留されています。
 何れも、3次元の世界に時間を加えた、ワープを含む4次元の世界へ運行します。
 六道は、立ちこめた霧に覆われた三途の川の向こう側、彼岸にありますが、浄土は、荒れ狂う煩悩や三密を越えた10億仏国土の彼方にあります。
 六道は、何れの道においても苦が、伴います。
 一番住み易いと思われる天にしても、500年後に地獄に輪廻することが定められていたり、熔けた金属を飲まされる事もあります。
 人の世は、現在、私達が経験しているように、様々なしがらみに満ちた、四苦八苦の世界です。
 人間らしく生きようとすると、悩みや煩悩が心に積み重なって、生きるのが辛くなります。
 それでも、仏道修行したり、解脱したり出来る、希望の里でもあります。
 悲惨なのは、地獄です。
 灼熱地獄、黒縄地獄などの八大地獄と共に、獄卒と言う名の鬼が、待ちかまえています。
 言葉で表すのも憚れるような、様々な悲惨な方法で、殺されても、殺されても、また、生き返るのです。
 切り刻まれても、焼かれても、何度でも生き返る、悪夢が繰り返されるのです。
 これが、果てしない時間に渡って、繰り返されます。
 輪廻から外れることを解脱と言いますが、悟りを開き、解脱して初めて仏様になり、浄土に永住出来るのです。
 しかし、一切の衆生を救う事を誓い、大いなる慈悲の意志で、如来になる資格を持ちながら、あえて成仏を取り止めこの世に留まった、地蔵菩薩や観音菩薩などのような菩薩様もおられます。
 なお、菩薩は仏になるための前身や釈迦如来の修行中の姿を指していた様ですが、現代では悟りを求める修行中の僧などを指すこともあります。
 阿弥陀如来様が開かれた、西方極楽浄土を表す説明によると、金銀、宝石により創られ、霊鳥、霊樹が生え、咲き乱れる花と香りと、歓喜の音楽と光に満たされた、至福の楽園として描かれています。
 そこに、本来の浄土の意味合いを加味すると、仏様からの教えを親しく受けることが出来、より一層修行が進む良き環境が保たれています。
 しかし、密教の今生で解脱できる、即身成仏を除けば、悟りを開くためには、輪廻を何回も繰り返すくらいの、長い長い修行が必要とされています。
 魂の行く処は、その3に続きますが、今日は、仏教の祖である釈迦如来のご真言をお唱えし、自由自在、神通自在の境地に近づきましょう。

 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

★此岸・彼岸(8、魂の行く処、その1)
         (平成29年10月3日更新)

23、四十九日まで、魂はこの世に留まっていると、住職のひとこと14、四十九日で申し上げました。
 一度、亡くなったと思われる人が、生き返る、蘇生体験をお持ちの方の話が、沢山ウエブや本に載っています。
 多くは、死亡と共に魂が幽体離脱し、上の方から自分の死体を不思議な気持ちで、眺めた後、三途の川の河原に向かいます。
 川を渡ろうとすると、川の向こう側から、あるいは後ろの方から、肉親やら尊敬する人からの「まだ渡ったらだめだよ。」「ここはおまえの来る処じゃないよ。」などと、いろいろな言葉が聞こえてきます。
 その言葉に従って、来た道を戻ったら、生き返ってしまったと言う、事例が多くみられます。
 何れの人も、三途の川は渡っていないのです。
 結局、蘇生体験があって、彼岸に渡った人は、修行者の中のほんの少数と、悟りを開いた人、即身成仏した人だけが渡ったかと思います。
 その中でも、死後の世界を文書にしたり、口述でお話を伝えた人はいません。
 だからこそ、この世に生きていて、どうしても知りたいものの内の重要な一つなのです。
 特に、老、病、死を意識する状態になった人にとっては心の大部分を占め、無関心ではいられません。
 そして、この疑問に答えるべき人は、僧侶が最適でしょう。
 経典やいろいろな資料から、私なりに解説してみたいと思います。
 私は2・6・2あるいは1・8・1の法則が、人間の営みの大体の行動に、当てはまると思っています。
 信教に熱心な人は2割、信教に興味のない人2割、中間が6割、などと区分します。
 この世で善行を積んだ人は2割、悪に染まった人は2割、中間的な人は6割などと思われます。
 時には、それが1割、1割、8割の事もあります。
 いずれにしても、人の考えや、行動は、全員一致となるのは至難の業と言うことになります。
 さて、亡くなったものの一部は、仏様の発する光にとまどいを持ち逃げ出したもの、現世に強い思いが残っているもの、自分の死を自覚できないもの、などは、現世に霊として残って彷徨うことになります。
 一方、多くは、三途の川のほとりにある閻魔庁に、行くことになります。
 そして、不動明王の化身と言われる泰広王、釈迦如来の化身と言われる初江王など十王が、1週毎に主審となり、亡くなったものが生前に犯した罪に対して、裁きを受けることを求めるのです。
 資料は、法廷に置かれた浄瑠璃(じょうはり)の鏡に、生前の行いが、すべて映し出されます。
 多くのものは、慈悲深い仏様により下されたお裁きをまもり、生前の犯した罪を悔い改めた後、浄土に導かれて行きます。
 私は、僧侶として、その期日毎に、個人と親しかった人と共に、亡くなった方が極楽浄土に行けるように、お経をあげ、供養をします。
 続きがありますが、今日は、49日目の審査にあたる、薬師如来のご真言を唱えましょう。
 
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

★私の仏道(7、陀羅尼)(平成29年9月28日更新)

22、先日、テレビでお墓の移転を撮していました。
 傍らで、お坊さんが陀羅尼を唱えておりました。
 私が毎日唱えている阿弥陀如来根本陀羅尼でした。
 この陀羅尼は、「無量寿如来修観行供養儀軌」によりますと、金剛手菩薩が末法で苦しむ衆生のために、浄土へ往生する秘法を説いたものです。
 陀羅尼は梵語のダーラニーの音写とされ、比較的長いご真言を称します。
 弘法大師空海は『真言は不思議なり、観誦すれば無明を除く、一字に千理を含み、即身に法如を証す。』と説いています。
 私は梵語の研究をしたことがありませんので、陀羅尼を唱えていても、意味がよく分かりません。
 ただ、難しい、有難い、言葉だと思います。
 いかにも、魂を、迷うことなく、西方浄土に連れて行っていただけるような、美しい言葉だと思います。
 陀羅尼は神秘的な、偉大な力を持つ呪文として、象徴的な言葉によって語られています。
 
『のーまくさんまんだ ばーざら だん せんだー まーかろしゃーだ そわたや うんたらた かんまん』

 梵字の発音を、出来るだけ忠実に表してみたものです。
 これは、不動明王のご真言ですが、次のように現代訳されています。
 『すべての金剛界の諸尊に帰命したてまつり、諸々の魔を避け、除くために、暴悪の姿を現じる大憤怒の明王よ、煩悩諸悪より救いたまえ。』
 日本語に直しても、とても深い意味を持っています。
 しかし、そのまま、梵字のまま、発音した方が、意味は分からないですが、私には、有難く、感じられます。
 ここに、真言宗の原点があると思います。
 梵字を勉強して、意味を知ることも大事ですが、私は、梵字の発音を繰り返し、繰り返し、繰り返し唱えて、真の意味を体得したいと思います。
 そのうち、弘法大師空海の説くように、陀羅尼により、無明を除き、真理を体得し、仏様のお言葉を伝えていきたいと思います。
 如意輪寺の勤行次第には、13仏ご真言とともに、阿弥陀如来根本陀羅尼、大金剛輪陀羅尼が定められています。
 私と一緒に唱えましょう。


★私の仏道(6、寿命)(平成29年9月16日更新)

21、寿命を全うすることは、難しく、生きていくことが苦痛になります。
 それより、なぜ生きるのか、なぜ、苦しんでまで、生きなければならないのか。
 なかなか答えの出ないことが多いこの世です。
 四苦八苦と言う言葉があります。
 四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦の分類では、苦しみのことではなく、思うようにならないことを意味します。
 根本的な苦の生・老・病・死の四苦に加え、愛別離苦(あいべつりく)・愛する者と別離すること、怨憎会苦(おんぞうえく)・怨み憎んでいる者に会うこと、求不得苦(ぐふとくく)・求める物が得られないこと、五蘊盛苦(ごうんじょうく)・五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないことの四つの苦を合わせて八苦と呼びます。
 人間はこんな苦を持ちながらも、生きていかなければなりません。と言うより生かされていると言った方が良いのでしょうか。
 また、貪瞋癡(とんじんち)などの欲望に惑わされることから、迷いを、解消するために行動しても、かえって迷いを増幅しがちなので行動しなくても、いずれにしてもストレスがたまります。
 寿命にはこの苦とストレスが大きく関わってきます。
 私は人間120歳を寿命と仮定しています。
 一般的には、心臓や脳が人間としての活動を停止する
と、死となります。
 この二つは物理的に耐久年数と細胞の破壊による寿命の減少が大きく関係します。
 企業の試験場では冷蔵庫の扉をモーターなどで開閉させてその寿命を解析したり、飛行機の翼などでも疲労試験をしたり、酸化試験、塩化試験などたくさんの試験をして、製品の寿命を知ります。
 心臓も弁や心筋の動く部分や血管の耐久年数などを勘案し、その動きが悪くなり、生命を維持できなくなる時をもって寿命とします。
 脳細胞は23歳近くまで細胞分裂や未開細胞の活用により活発化しますが、それ以降は一定の量ずつ破壊され減少していきます。
 脳波に異常をきたし人間としての行動できなくなる時が脳の死です。
 心臓も脳も、自然に劣化し、最高で120年が限度となり、このことが寿命だと思うのです。
 これら肉体は水分、空気、ミネラル、ビタミン、カルシュームなどたくさんの要素により支えられています。
 しかし、それらがストレスや農薬のような薬物、刺激物などで、汚染されたり、欠けたり、変質したり、命を縮める要素などが重なり、人生120年からその分減らされた年齢で亡くなります。
 現在の、世界の存命の長寿ナンバーワンは117歳(日本)です。
 これら肉体に対して、魂は永遠です。
 だから、善行を積まなくてはいけないのです。
 この世の行動によって、魂は永遠に住む場所が決まってしまいます。
 他人に迷惑をかけないように暮らしていても、自分の行動によって影響された誰かが、思いどおりに暮らせない気持ちになることがあります。悪意はないのです。
 先ほど申し上げた苦です。だから、信心帰依し、救われなければなりません。
 仏法ききがたし今すでにきく、この身今生に於いて度せずんば、更に何れの生においてかこの身を度せん。
 これは帰敬文の一節ですが、私の書いた文章を、ここまで読んでいただいた人は幸運な人です。
 私と一緒に仏法に帰依し、今こそ度(迷いから救う)しましょう。



★私の仏道(5、在家、出家) (平成29年9月12日更新)
 

20、僧や信徒は仏教に帰依し、お寺や教団を護る人々です。
 お互いに協力しあって、お寺という場所を共有して、仏教を振興し、自己を磨く、そこには梵語のダーナの意味、施しがあります。
 施しは、僧は法施をし、壇信徒は財施をすることにより成り立ちます。
 壇那寺は先祖の霊魂の安住地として、菩提を弔う処であり、仏壇を引き継ぐ者が壇信徒となりました。
 それ以外の家族は菩提寺を探すことになります。
 小さい時から、お墓参りやお詣りなどで、慣れ親しんだ宗教を選ぶことが多いのですが、新しく縁を求めることも少なくありません。
 お寺は、自身や家族の魂の落ち着くところでもあり、悟りを得る場でも有ります。
  個人の多様な仏縁を大切にし、独自の道を歩んでいただきたいと思っています。
 私の先祖は真宗大谷派ですが、私は次男坊だったので、家族と相談し、真言宗を我が家の宗教としました。
 そして、あるお坊様との不思議な縁から、勧められて、出家し、如意輪寺の住職をしています。
 信徒として在家でしたが、出家して、お坊さんになったことになります。
 お坊さんになるには剃髪し出家して、親や友人などの縁を切って、得度し、修行します。
 現在は髪も増えたし、縁を切った親や友人とは仏弟子として、励まし合って仏事を協働しています。
 得度は僧侶としての入門を果たしたことになり、その後、度牒(どちょう)し、僧籍を得て、僧侶として登録されます。
 僧として活動できる様に、お経やら作法を学び、誓願、受戒、三味耶戒(さんまやかい)を経て、仏と縁を結び、本格的な修行に入ります。
 在家と出家の違いは、外見からは分かりません。
 そこで、袈裟(けさ)や黒衣、法衣など外見での区分も必要になります。
 如意輪寺では、真言宗単立寺院として、得度も行っています。
 加行(けぎょう)を終え、密教独自の伝法灌頂(でんぽうかんじょう)が行われます。
 その後、ようやく、阿闍梨(あじゃり)として独り立ちすることができます。
 難しい言葉が並びましたが、興味のある方は、ネットなどでお調べください。


★私の仏道(4、数珠(じゅず) (平成29年9月7日更新)
 
19、真言宗では念珠と呼ばれ、人間のもつ煩悩、108を基準として、念珠に手を通して念じることにより、胎蔵界の慈悲深い諸尊に通じ、金剛界の108仏の持つ力により、悩みや苦しみを救い、願いを叶えてくれます。
 また、魔除けや、厄除けの力を持ちます。
 数珠は古代インドの聖典に連珠という記述があり、お釈迦様が使ったと同じ形のものを、空海が日本に持ち帰った108個のものが、正式で本連と呼ばれます。
 108個の珠を大きな珠で54個ずつに分け、7個、14個ごとに4個の小さな珠を付けて数を分けています。
 この小珠は4天王、4菩薩を表しています。
 大きな珠は阿弥陀如来と釈迦如来を象徴し、分枝された5個の珠が付いた2本の房があり、阿弥陀如来側の房には観音様を表す小珠が付いています。
 一般には、半連と呼ばれる54個のものや、4半連という27個のものが多く使われます。
 宗派によって若干の違いがあることから、購入するときには、真言宗のものと指定してください。
 長い念珠の場合には、おつとめの始まりと終わりに、左手の中指と右手の人差し指にかけて、手の中で包むようにして、真言を唱えながら、音を立てて擦ります。
 読経の間には一重にして、左手首にかけておき、仏前に置くときには、3重にして2つの房を内側にたたむようにします。
 いろいろなときに使いますので、マイ数珠を一つ用意しておいた方が良いと思います。


★私の仏道(3、ローソク線香)(平成29年8月17日更新)

18、お花とお水を仏壇にあげますが、仏様も私たちも、お花が好きです、匂いがきつくなく、とげのない生花が一番ですが、造花でもかまいません。もちろん、お大師様になじみが深い、シキミでも、コウヤマキでもかまいません。
 お水は全ての生物組成の元になっていますし、特別な修法により聖水をつくり穢れを祓うなど、儀式に用いられます。
 仏様は特に湯気の上がるものが好きです。お茶、ご飯、お供物はお料理をつくった時には、仏様の分を最初に取りましょう。
 おつとめが終わったら、下げて、いただきましょう。
 ローソクは明灯と言われるように、無明が開ける事を象徴して
ますが、仏様やご先祖様のお導きの効果もあります。ローソクが良いと思いますが、電灯やあんどんでもかまいません。
 ローソクからお線香に火を付けます。火を消す時は手風や消し器で消して下さい。
 お線香はお経やお供物を香りと煙にのせ、仏様やご先祖様に届けたり、自身とその場を清める役割を担います。
 正式にはお香とお焼香となりますが
、長い時間もたせるためにお線香を使います。電子線香や円形線香でもかまいません。
 宗派によって、どんな風に線香を上げるのか、違いが出てきますが、真言宗如意輪寺ではご本尊、お大師様、ご先祖様にむけての意味や三世、三宝、三密などを供養するために、逆三角形に3本を離した状態で香炉に立てます。
 なお、飾り棚を見て決めますが、仏様、ご本尊様、菩提寺の住職への意味を込めて、49日までは本数を1~3に定めることが多いです。
 ご焼香は3回、額にいただくことになっています。
 お鐘(りん)はおつとめをする時に使うものなので鳴らす必要はありません。


17.悪霊と怨念について(平成29年8月17日更新)

 暑いこの時期、いわゆる心霊スポットなる場所へ面白半分に肝試しに行く人もいることでしょう。
 私に言わせれば、これは赤の他人の家に不法侵入するのと同様に、向こう側からしても、はたはた迷惑な行為なのです。
 結果、そこに滞在している未成仏霊を怒らせ、霊障をもたらせられることになるのです。このような危険行為は止めてもらいたいものです。
 さて、怨霊とは、すなわち成仏できていない霊体、この世における恨み、つらみ、妬み、そねみ、そして限りない欲望などの執着心から、自力では離れられない霊体で、その地に留まり続ける霊体を言います。
 写真を撮ると、稀に真っ黒いオーラが写り込むことがありますが、これがそうです。
 これがあれば大変危険です。専門家に祓ってもらって自分を清浄に保つことが重要です。
 その強さは、ふっと肩に息を吹きかければ取れるものから、強力な法力をお持ちの僧正様でも何回やっても取れないものまで様々です。
 大切なことは、霊への敬虔な気持ち、成仏してください安らかに、という心の中で合掌するお気持ちを持ち続けることです。
 霊は、現世の他人様と同じく、礼を失しなければ決して怖いものではありません。
 みなさんで、気づいた時で良いから、心からの合掌を行いましょう。

              慈空 拝

★私の仏道(2、合掌)(平成29年8月17日更新)

16、仏様は様々な姿をし、色々なものを持ったり、手や指の形(印)に意志を宿しています。
 合掌して拝んでいる仏様もいます。
 左手の指と右手の指をつけ、仏様と自分が一体となる気持ちで手を合わせる虚心合掌が一般的ですが、両手のたなごころに、ふくらみを持たせ蓮の花のつぼみのようにしたり(蓮華合掌)、第二間接が接するくらいに深く指を組み合わせたりする合掌(金剛合掌)などがあります。
 いずれにしても、左手は自分、右手は仏様と言われるように、意識して合掌をしたいものです。
 私は金剛合掌すると左手の親指が上に来ます。
 右手の親指が上になるように、いつも気を付けているのですが、無意識に手を組むと仏の手が下になります。
 習慣とは恐ろしいものです。それを逆手にとって、私は辛いこと、面倒なこと、しなくちゃいけないことを習慣にしてしまう様にしています、これも生きる知恵なのです。
 ところで、私たちが合掌して仏様を拝むのは分かりますが、仏様が合掌して私たちを拝んでいる仏像があります。 仏様が、私たちの何に対して拝んでいるのでしょうか。
 それは、人々を皆、救いたいという仏様の願いを表していたり、人々の心にある仏性に、手を合わせているのだと思います。
 悟りに至る道は、各自の持つ仏性を呼びさます事です。
 おつとめの始めと終わりには、左手の人差し指と右手の中指にかけた念珠を、手の中で包むようにして軽く擦ります。
 しゃりしゃりと軽やかな音が出るようになると、少しずつ悟りに近づいているような気がします。

私の仏道(1、礼拝)(平成29年8月15日更新)

15、恭しく み仏を 礼拝し奉る。
(心より帰依するところの仏様を礼拝いたします。)
 仏教はこの言葉から始まります。
 沢山の仏様の中で、私はこの仏様をご本尊として帰依したいと思う(心から頼ることができる)、ご本尊様を見つけることが、幸せの始まりでしょう。
 菩提寺と同じご本尊様を仏壇に安置するのが一般的ですが、こだわる必要はありません。
 ご本尊は外見からであったり、求める慈悲からであったり、自分の守護仏等から決めてもかまいません。
 もちろん、仏像でも、仏画、掛け軸でもかまいません。 ただ、大日如来様と弘法大師様がおられた方が望ましいのは、真言宗派の必然です。
 仏壇にご本尊様を安置し、帰依、礼拝、祈願、することにより、仏様からは時に応じ、場合に応じ、得意に応じ、救いの慈悲を賜ることができます。
 菩提寺さがしや心から帰依したいと思うような仏様さがしは、信仰の始まりです。
 しかし、仏様は高校時代に修学旅行で、京都や奈良のお寺の見学以外に観じることがなかなかありません。
 ネットや近くのお寺や菩提寺に足を運び調べることも必要かと思います。

★四十九日(平成29年7月5日更新)

14、魂は死後七週間、この世とあの世をさまよっているとされています。
 その間、生前の行いに対して七回お裁きを受け、四十九日目に六道のいずれかに転生すると言われています。
 亡くなったおじいちゃんが、島の誰かが亡くなると、白衣観音様の掛け軸を床の間に掛けていました。
 おじいちゃんは天売島で真宗大谷派のお寺で檀家総代をしながら、島民が減少する中、仏教、お寺を護るために、物心両面でご住職を支えていました。
 今になって、その行動の意味が分かってきました。
 来迎図を意識していたんです。
 一心に念仏を唱える臨終の信者を極楽浄土に迎えるために、観音菩薩(慈悲)、勢至菩薩(知恵)を従えた阿弥陀如来が、飛雲に乗って降下する様子が描かれています。
 こんな事まで知っていたのですね。
 さすがおじいちゃんです。
 私が今、如意輪寺の住職をして、お経三昧で過ごせるのも、その影響があったからでしょうか。
 今日は阿弥陀様の真言を唱えましょう。

 おん あみりた ていぜい からうん
 おん あみりた ていぜい からうん
 おん あみりた ていぜい からうん
                壽教 拝

 
★真言宗の位置(平成29年6月27日更新)

13、 仏教、真言宗の変遷

 現在、世界の宗教人口はキリスト教33.4%、イスラム教21.2%、ヒンドゥー教13.5%、仏教5.7%となっています。
 しかし、お釈迦様が伝教したインドでは、ヒンドゥー教がほとんどを占め、仏教は0.8%に過ぎません。
 信者数の多い中国では、国民の13%一億八千万人が仏教徒です。
 信者数の割合が多いのは、カンボジア97%、タイ95%、ミヤンマー80%スリランカ69%、日本36%と続きます。
 日本では神道52%、仏教36%となっているが、我が家のように仏壇も、神棚も有り、葬儀は仏式、お祭りは神社などとしている家が多いと思うので、信者としてどちらに分類されているのかは興味のあるところです。
 ちなみに如意輪寺はお寺ですが、神様も祀っています。
 ネパールに生まれ、インドで悟りを開かれたお釈迦様の没後600年、弟子達が集まり、その教えを経典にまとめ、結公衆の集しました。
 記憶として伝来された、法経、説教の膨大な数の中から般若心経もつくられたと考えられます。
 時期を同じくして、信者一般を対象とする大乗仏教と僧侶を中心としての修行をする小乗仏教に分かれました。
 日本には大乗仏教が、チベット、中国、朝鮮を経て、聖徳太子摂政の時代以前に渡ってきました。
 そして、仏教と日本古来の神道との融合が図られていきました。
 小乗仏教はスリンカ、ミヤンマー、タイ、インドネシア等に伝わりました。
 中国が随から唐になった時に、最澄や空海が遣唐使として、仏教の修行を体得するために派遣され、最澄は政府の高官として天台山にて天台教学を学び、菩薩戒、禅、密教を相承しました。
 一方、空海は青龍寺の恵果に密教の秘法を伝授されてから、帰国の途につきました。
 帰国後、最澄は比叡山延暦寺で天台宗を、空海は高野山金剛峯寺で真言宗を創立しました。
 真言宗は密教として活動する傍ら社会事業、教化活動を展開し、社会の変化と共に多数の派に分派することになりました。
 天台宗は顕教として、曹洞宗、臨済宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗などを生み出してきました。
 私が思うのに、当時のエリート官僚最澄と天才空海が互いに競い合って、仏教を伝道し、仏教の土台を確立した時期であったのです。
 今日はお大師様を称え、全ての民衆を救って導いて下さる事を願って、ご宝号を称名します。

  南無大師遍照金剛
  南無大師遍照金剛
  南無大師遍照金剛
              壽教 拝  

★悟りを開く(平成29年6月21日更新)

12、観音様は色即是空、空即是色であると悟ったので、一切の悩みや苦しみから解き放された。と般若心経に説かれています。
 要約すると、形あるものは実体のないものである。
 実体のないものによって、実体が形づくられている。
形あるものは空に違いない。
空だからこそ形あるものとして変化するのです。
 心の動きも、想も、行も、識も、また空なのです。
 それ故に空の中には何もないのです。
 我々が見たり触れたり出来る色も、五感を通して受け、感覚として捉えられ、行動を起こし、それを知覚する意思を受けた感覚も、また、目で見る世界も、愛も、執着も、老死も、勿論空なのです。
 空であることを悟ることにより、心にこだわりもなく、こだわらないことにもこだわらない、それゆえに苦悩も、恐怖も全てなくなるです。
 何もないことが解った事により、一切の悩みや苦しみから解放され、仏の深き悟りの境地を得たのです。
 この262文字からなる経文には、仏教の真理が宿っています。
 理(ことわり)が解るようになるには、相当の修行が必要になりましょう。
 今日は、般若心経の心となる、ありがたい呪文を心を込めて唱えましょう。


 ぎゃ-てい ぎゃ-てい は-らぎゃ-てい はらそうぎゃ-てい ぼ-じそわか
 ぎゃ-てい ぎゃ-てい は-らぎゃ-てい はらそうぎゃ-てい ぼ-じそわか
 ぎゃ-てい ぎゃ-てい は-らぎゃ-てい はらそうぎゃ-てい ぼ-じそわか
                  壽教 拝

 

★奇跡の私達(平成29年6月10日更新)

11、9百万種が存在するとも言われる、地球上に生存する生命体の中で、せっかく人間として生きさせてもらっているのに、年齢を重ねるごとに、楽しいと思うことが少なくなってきました。
 孫と会って、遊ぶことが唯一の楽しみです。
 この孫が奇跡の産物なのです。
 一個の卵子が一個の精子と出会い、細胞が2分割します。 そしてそれぞれが又2分割されます。
 この分割が絶え間なく続き、最後には37兆個の細胞に増えます。
 これだけでも、人間では制御できない奇跡です。
 それ以上に、それぞれの細胞の中に、2万以上の遺伝子情報が螺旋状に組み込まれているなんて、想像を絶することです。
 遺伝子情報は、細かく確実に刻まれています。
 首の上に顔を前面にした頭部が示されています。
 目も鼻も口も、付くべきところに其れらしく付いています。
 それも、母の特徴、父の特徴を顕著に表現しています。 鼻と口とが異なって上下しているなんて、見たことがありません。
 外見だけではありません、性格まで遺伝します。
 こんな普通な身体の構成が細胞の2分割によりもたせられます。
 あなたも私も奇跡の結果で存在しているのです。
 生きる喜びが身体中から湧き出すように、楽しく生きることが出来てもいいはずなのに、生きることが苦しくなってきます。
 どうしてでしょうか。
 煩悩が心の中に積み重なって、残ってしまうからです。
 色即是空、しんむけげ、自然現象に畏敬の念をもって、何物にもこだわらない心を持ちましょう。
 如意輪寺で、一緒に般若心経を唱えませんか。
 きっとこのお経の中に、答えがあるはずです。
                    壽教 拝


★お地蔵さまが救ってくれます(平成29年6月7日更新)

10、赤ちゃんや子供たちが親の理不尽さで亡くなっています。
 抱っこして激しくゆするんです。
 床に落とすのです。
 まだ安定していない脳が急な衝撃で異常をきたします。
 泣いてうるさいからDVをする。
 そんな馬鹿な、赤ちゃんは泣くのが仕事でしょう。
 食事もなく部屋に何日も閉じ込めたり、覚せい剤を吸わせたり、パチンコをしている間灼熱の車の中に放置する。 もう親としての資格が疑われる様な、悲惨な事例が報道されています。
 天寿を全うできなかった子供は、悲しいかな、極楽に辿りつけないのです。
 賽の河原で「お母さん恋しいよ」「お父さん恋しいよ」と言いながら、小石を積み上げていきます。
 その声を聞きつけて、鬼が現れせっかく積み重ねた石を突き崩していきます。
 何も罪のない赤ちゃんや子供の悲しい声が、そこ等かしこから聞こえてきます。
 定められた寿命だったとあきらめるには、余りにも短い悲しい人生です。
 本寺の橋を渡った左側、西方浄土のある側に、お地蔵さまが祭られています。
 以前の金子教会の時から、何人もの赤ちゃんや子供、水子を見守ってきました。
 賽の河原ではお地蔵さまが現れて、幾多の赤ちゃんや子供たち、水子をおべべの大きなたもとの中に、親代わりになって、救い上げてくれるのです。
 そして、極楽浄土に連れて行ってくれます。
 その慈悲の深さは、手を合わせてお地蔵様を拝んだ皆にも向けられます。
 釈尊様から引き継ぎ、弥勒菩薩様が現れるまでの、56億7千万年後まで、お地蔵様と協力して救いの道を歩む観音菩薩様など沢山の仏様が、私たちを救けてくれます。
 今日は、お地蔵様のご真言を唱えましょう。

 おん かかかび さんまえい そわか
 おん かかかび さんまえい そわか
 おん かかかび さんまえい そわか
                  壽教拝


★当寺如意輪寺ご本尊、如意輪観音様について
           (平成29年5月25日更新)

9.当寺のご本尊は如意輪観音(にょいりんかんのん)様と言います。
 本堂の中央上の、般若心経が刻まれた座台に、片膝を立てて何時でも何処にでも、即座に行動できる態勢をとり、如意輪を掛けた右手に宝珠を持ち、深い思慮を漂わせたみ顔に、沢山の衆生をどの様に助けたら良いのか何時でも考え、実行する固い決意が読み取れます。
 誰でもを、苦しみから救ってくれます。
 願いを叶えてくれます。
 しかし、一つだけ、守って下さい。
 心から信じ、苦しみを、願いを、お伝え下さい。
 さて、どのようにお伝えしたらいいのでしょうか。
 それはおつとめをすることです。私と一緒に観音様の力を信じ、一心に念じましょう。
 お経を唱えましょう。
 ご真言を唱えましょう。
 まず、供養し、礼拝をします。
 お水やお茶、お供えをし、ロウソクに火をともし、線香に火をつけて、香炉に立てる。袈裟をかけ、念珠をかけた手で合掌しましょう。
 何もなかったら、真の信心と合掌礼拝だけでも願いは伝わりますよ。願いが叶うまで毎日続けましょう。
 願いが叶う時には、観音様は目の前や夢の中に、自分が想像する姿で現れてくれます。
 お布施や感謝の心を忘れたら、元の木阿弥ですよ。
 
 おん はんどめい しんだまに じんばら うん
 おん はんどめい しんだまに じんばら うん
 おん はんどめい しんだまに じんばら うん
              壽教 拝 
 

★遠隔除霊のご祈祷について(平成29年5月14日更新)

8.よく、ご相談者様から、遠隔のご祈祷について聞かれます。
  除霊というのは、下記にもありますが、結局葬儀で「引導を渡す」、供養と同じなのです。
 これを遠くにお住いの方にも出来るのかどうか。
 心配いりません、現地にいる場合と同様に出来ます。
 慈空の読み上げるお経とご真言さえ聞くことができれば、神仏のお力を回向して、電話を聞いているご本人様に振り向けることが出来るからです。
 実際に、日本全国からご相談をいただいておりますが、霊視の段階でわかるのですが、9割5分浮遊霊レベルのご精霊なので、供養祈祷して、成仏させてあげることが出来まますし、如意輪寺の目指すやり方でもあるのです。
 現に、ご相談者様からはお礼のお手紙やメールをいただいており、みなさんご満足されておられているようです。
 以上のような、如意輪寺の霊障除去、浄霊加持の方針にご賛同いただける方々からのご相談を、いつでもお待ち申し上げております。         
           慈空 拝



★肉体と霊魂について(平成29年5月6日更新)

7.生き物は亡くなると霊魂は行くべき世界に行き、肉体は地に帰ると言います。
 寿命を全うして微笑んでいるように旅立つ魂のほかに、どうしても行きたくない魂、亡くなったことを理解できない魂、恨みのような何らかの理由で行けない魂、目には見えないけれど浮遊しているところがあります。
 霊感の強い人が感じると言う感覚だけでは無く、文明の利器ともいえるカメラに写ることさえ、何度も目にしたことがあります。
 輪廻転生にしろ、成仏にしろ、行くべき世界に送ってあげることことが必要です。
 私は仏さまの言葉に一番近い真言で送ってあげたいと思っています。

 おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん 
 おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん 
 おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
                    壽教 拝


★回向と祈祷力について(平成29年4月19日更新)

6.回向は「えこう」と読みます。ご祈祷によって神仏様のお力をこちら側に振り向けることを意味します。
 如意輪寺のご祈祷は、例えば慈空の霊能力を使うのではなく、ただひたすらにお経とご真言をお唱することによって「仏力加持」するわけであります。
 ですから、よくご相談を受ける「除霊」といわれる行いについて、慈空はその呼び方自体が嫌いです。
 ただ悪霊を除くのではなく、神仏様のお力をお借りする「回向力」によって、霊を「供養」して成仏させてあげることが大切です。
 如意輪寺のご祈祷は、それすなわち「加持力=祈祷力=回向力」という意味合いを持っておるのです。
 この考え方に賛同される方々からのご相談を、心よりお待ち申しあげております。    
            慈空 拝



★信頼する仏様の浄土へ(平成29年4月11日更新)

5.菩薩様が現世での願いを、何でも叶えてくれることをお伝えしました。
 しかし、私たちが亡くなった後の世界でも活動しています。
 西方浄土という言葉を聞いたことがあるかと思います。 ここは、阿弥陀如来様が作り上げた極楽浄土と言われています。
 極楽は人間が創造した概念であり、浄土は大乗仏教が構築した世界観から成立している。
 大乗仏教には、多仏思想が有り、諸仏の無数浄土が生まれてきます。
 薬師如来様の浄瑠璃浄土、観音様の住む補陀落山浄土、阿?如来様の妙喜世界、弥勒菩薩様の兎率天等、人間としての苦しみを超越した沢山の世界があります。
 亡くなるときには、見知らぬ世界に旅立つのですから、誰でもが不安を覚えます。
 しかし、大丈夫ですよ。
 観音経をとなえて道案内をしますよ。
 懺悔をして、菩薩様を信じることが出来たら、真言をお伝えします。
 定められた時期が来たら、真言をとなえながら、安らかに眠りましょう。
 今日は、全てを包括する大日如来様の、ご真言を唱えましょう。

 おん あびらうんけん ばざらだどばん
 おん あびらうんけん ばざらだどばん
 おん あびらうんけん ばざらだどばん
                   壽教拝 


★何でも叶えてくださるお地蔵様
         (平成29年3月27日更新)

4.弥勒菩薩様が修行を完成し、世を救いに現れるまで、 すべての人をお地蔵菩薩様がお救いします。
 如意輪寺の境内に入る、今はちょっとみすぼらしい橋 を渡ると、西方浄土の方向に延命地蔵様が立っています。
 右手に錫杖を持ち、左手に宝玉を持ち、赤いマントで雨・雪を防いでいます。
 私には、どんな険しい場所にでも行けるように錫杖を携えている様に見えます。
 すべての願いをかなえる宝玉を手に持ち、優しいまなざしで見つめていて下さっています。
 時には閻魔様の様な恐ろしい顔で、叱ってくださるのが信じられないような穏やかな顔立ちに見えます。
 30年以上、名前も明かさないで、このお地蔵様の面倒を見てくださいました人がいます。
 必ずや幸せな人生を歩んでいるものと、祈っています。
 私も願っていることがあります。
 橋やお寺の土台を補修したいものです。
 
 おん かかかび さんまえい そわか
 おん かかかび さんまえい そわか 
 おん かかかび さんまえい そわか 
                  壽教 拝

★波乗り観音様  (平成29年3月21日更新)

3.困ったときの観音様頼み 
 私のおじいさんはニシン御殿の持ち主でした。
 何人もの漁師を使って、大金持ちと言われました。
 どれ位のニシンが押し寄せ、獲れたのか、一端を示しておきます。海は鱗で銀色に輝き、その群れに自分の家紋の旗を竹竿の先端につけ、差し込むと密集のため、倒れることなく立ったまま移動したものです。
 その群れの中に100mもある刺し網を3〜5枚投入します。
 すべてにニシンが鈴なりに掛かっています。
 2枚までは船の上にあげることはできますが、それ以上は船が沈む恐れがあるので、1枚は船で港まで引いてきます。 残りの2枚は後程回収するかなくなります。
 とにかく漁が終わったら給料を支払うんですが、数は数えません。
 バネばかりで重さを量ります。
 残りは屋根裏部屋に俵やカマスに入れて保存します。
 それが昭和20数年以後頃1匹も獲れなりました。
 ニシンが獲れなくても漁師の給料ボーナス、船の新造、網の用意、食料を毎年確保します、それが何年も続きました。
 全ての資金がなくなって、息子は癌にかかり札幌に入院します。
 幼い孫は4人残りました。
 この時点では暗い未来だけが広がったと思います。
 とある日、街を歩いていると波に乗った観音様が目に留まったのです。
 普通は、蓮の葉の上に座ったり立ったりしているのですが、波の上に乗っているんです。
 すぐに家に買ってきて、毎日お水をあげ大切に、祈りました。
 少しづつ運が巡ってきて、地元には高校も大学もありませんが、4人の孫兄弟は下宿しながら高校大学を卒業させていただきました。
 4人で高校から大学まで、幾らかかったのでしょうか、東北、札幌2、室蘭の大学でした。
 観音様が救けてくれた以外考えらえません。
 ありがたいことです。

 おん あろりきゃ そわか 
 おん あろりきゃ そわか
 おん あろりきゃ そわか

 祈願とお礼は一体不可欠のものである。
                 壽教拝

★祈願(平成29年3月11日更新)
2.何でも叶えてくれますか
 昨年 寺の入り口で仏さまは精神的な救いは叶えてくれるらしいが、世俗的なお金儲けなどについての望みは叶えてくれるのですか?と質問されました。
 もちろんyesです。
 特にうちの寺のご本尊様は、如意輪と宝玉であらゆる願いを叶えてくれます。
 ただ、本人の努力なしで、また、願うことなしで、叶うことは、なかなかありません。
 これは病気の治癒と同じです。
 医師が治す分野と祈祷の治す分野が違うのです。
 その代り何年も病院に通って、様々な治療を受けても変化のなかった病気が、祈祷によって回復に向かった例が少なからずあるのと同じです

 
特に本寺では、本人と私との意思の交流を大切にしますので、病気の回復する割合が大きくなります。
 さて、どんな仏様が貴方の仕事を隆盛に導いてくれるのでしょうか?お金儲けを助けてくれるのでしょうか?
 基本的にはだれにも頼らずに、仕事を遂行するのは個人の資質です。
 そのうえで大きく利益を上げるには、仏様の力が必要なのです。
 一般的には如来様は精神的に道を示してくださいます。 菩薩様、明王様天神様が現世の様々な悩みを解決してくださいます。

 
具体的な事項は次回以降に記します。壽教 拝


★祈祷と病気(平成29年3月3日更新)


1.みなさんのご病気と除霊祈祷との関係について。

 ご相談者様の中には、精神的な病や原因不明の病を患っておられる人も多いです。
 しかし、みなさん、しっかりと病院へ通い、正当な治療を受けておられます。

 如意輪寺の住職は、こう考えます。
 「治療と祈祷は車の両輪」であると。
中には、病院での治療に疑問をもち、除霊祈祷一本を頼る方もおられますが、
それは間違った考え方です。

 住職の除霊祈祷力ときちんとした医療との連携が、最も良い結果をもたらすものなのです。

 最近は、お寺の本堂が雪に埋もれてしまい、電話による遠隔祈祷の依頼がほとんどですが、住職の読経と真言念誦で、たいていの場合は、除霊に関してお礼の言葉をいただいております。

 「病気と祈祷」。このうえは、必ず正当な医療を土台としたうえで、当方での祈祷が成り立っておるのです。

 「信じること」「信」は、密教の奥義ですが、お医者様を信じること、その医療を信ずること、そして住職の祈祷力を信じること。

 最近は、祈祷力ばかりを信じ、正当な医療を信じない方もおられることを思うと、心が痛む次第です。               慈空 拝

【お問い合わせ】
090−1840−6911


真言宗単立本山 如意輪寺

札幌市手稲区金山3条星置の滝入り口下ル

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